障害か個性か

この子の言動は、障害か個性か。わが子に発達障害の疑いを持ったとき、多くの親は「障害なんて大げさ、ちょっと人と変わっているだけ。個性よ個性。」と考えるものだと思います。そして専門家による診断は受けず、なんとかやれている子どもを見て「大丈夫、大丈夫」と時が過ぎていきます。

障害か、個性か。これを自問するとき、正確にいうと私達は「この子は障害者なのか、障害者じゃないのか」について考えているのだと思います。そして当然ながら障害者だとは認めたくありません。言葉だって普通に話すし、元気に遊んでいる。この子が障害者のはずがない、と。

いっぽう、ある心療内科の先生の統計に、発達障害の子どもが成人するにつれ、うつ病を合併するケースが78%、不安障害36%、依存症44%。合併症なしはわずか4%というものがあります。また、実際に自信を無くし、心がボロボロに傷ついてしまっているASの成人が数多く存在しています。

こうした事実をもとに考えると、ちゃんと「障害がある」と認めてあげること。つまり、ほかの子が当たり前にできることが、いつまでたってもできないのは、「この子の努力不足ではない」とわかってあげること。このことがとても大切なのではないかと私は思います。

ASの子が、場にふさわしい行動がとれなかったときに怒るのは、手が不自由な子が箸を落とすたびに「なんで持てないの?」「何度注意したらわかるの?」と叱責しているようなものだと思うことがあります。(不適切なたとえでごめんなさい。でもそれくらい子どもは辛い思いをしている可能性があると知ってほしいのです)。

いっぽう「あーこの子はこういう個性なんだな」と放置するのも危険だと思います。まず家の外でさんざん傷ついて、自己評価を下げます。次に、これ以上傷つかないよう人と距離を置いてふるまうようになります。その結果、いっこうに社会性が育たず、大人になって大変な苦労をすることになります。

適切な療育を施すために、障害は障害として認められる必要があるのだと、専門書には繰り返し書いてあります。私もそう思います。そもそも個性というのは、その子に限らず、すべての子に存在するものなのですから、「障害か個性か」という問い自体がおかしいのかもしれません。また「障害があるか、ないか」が重要なのでもないと思います。その子の親として一番知っておきたいのは、「この子には特別な支援が必要かどうか」ではないでしょうか。

※本サイトも、ご参考まで。(子どもの発達障害の診断について

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